ポストiPad
ダイナブックとは人間の為に積極的に必要な情報を提供してくれるデバイスの事です。あらゆる情報網に接続され、例えば今日の予定をリマインドしてくれて、その最も効率的かと思われる処理方法を提言します。ダイナブックとは、あらゆる情報網に接続して、その最も効率的かと思われる処理方法を提言し、最適の情報を最適な方法で人間に提供してくれる、まさに「アシスタント」の事を指します。
PDA とは、Personal Digital Assistants の略称で、アップルが1992年に提唱した携帯用情報機器テクノロジーの総称です。初めて発売された PDA が Newton なので「PDA = 電子手帳の親戚」という図式が一般化して思われているが、PDA はダイナブックのように積極的に情報を提供し、効率よく情報を整理できるデバイス一般を指します。アップルはまさに「ダイナブック」を実現しようとして生まれた会社で、これが会社の目標となっています。
テレビや電話、冷蔵庫などより生活に密着した様々な機器にコンピュータを取り入れ、それらを便利に活用することによってより快適な生活を提供しようというのが本来のユビキタスの概念です。コンピュータというものは、「万能マシン」の理論に根ざして作られているもので、他のマシンをまねる能力こそコンピュータの原点なのである。従来メディアはある一つの機能につき一つの箱が対応していましたが、コンピュータにより、それもデジタル化の恩恵により一つの箱でいくつもの箱をシュミレーションできるようになったのです。現代の製品開発の発想は、それら単一の機器が個別にどこまで賢くなれるかを考えるよりも、人の想像力しだいでどのようにも変わるマシンとの関わり方を考えていくことが重要でしょう。
一方で、実はアランケイのダイナブック構想が実現してしまうと、それを超えるようなポスト・ダイナブックの、希望的予言も共通認知もされていません。また、スマートフォンも多機能化の一端で高性能化したものの、単に携帯電話やデジタルカメラ、オーディオプレイヤーに付加機能を追加しただけで生活を革新するほどにはなっていません。
使えるアプリとは
下は小学生から上は高齢者まで、会社員から社長にまで幅広く利用され明治時代から広く愛されている製品があります。それは鉛筆と手帳です。誰にでも扱え、情報をいつでもどこでも閲覧でき、必要な機能は好きなだけ追加できる。ダイナブックの針路は携帯電話でもスマートフォンでもなく『紙の手帳』です。モノを使うのは人間です。人間が使いこなせなければ無駄なものが増えるだけで終ります。
私がメインに使う手帳は Palm 社製の PDA で、紙の手帳はサブとして使っています。理由はボクの仕事上、クリーンルームで作業することが多く、通常の紙は発塵対策上クリーンルームに持ち込めないので、手帳を携帯して社内を移動するには PDA が適しているからです。手帳を活用するには、使う人が常に情報を整理・管理し続けなければなりません。また、利用目的が不確定な情報まで紙媒体で持ち歩くこうとすると、収納量の収集がつかなくなってしまいます。膨大な情報を丸ごと持ち歩き、整理という煩雑な作業のアシスト(検索)をしてくれる。手帳としてこうしたシステムが必要なわけです。PDA は普通の手帳とはどう違うでしょう?
一つはデータの管理方法です。普通の手帳では、入力されたデータは「ただのデータ」で色々な別の機能がそのデータを効率良く利用する事ができません。メディアの力が人間から開放したひとつの労働は、おそらく「記憶する労働」でしょう。紙の発明と筆記する技術のおかげで、人間は記録を読む楽しみを味わうことができるようになりました。手帳は予定を管理するのと同時に、持ち歩ける資料集でもあるのです。「時間管理」という場合の手帳は、予定から逆算して自分の手持ちの時間を把握し、目標達成までの段取りをはかるツールといった意味合いがあります。
たとえば予定日に相手の名前や所属などの基本的な情報のほか、いつどこで会ったかの履歴、会話の糸口などを書き込んでいます。一方で、断片情報のリンクが行われます。社内外のいろいろな部署ごとに所属メンバーのリストを作成します。会議に出たら、その会議のファイルをつくって、そこに出席者それぞれの部署や役職をリストから貼りつけます。そもそも人と会う機会は全く関係のない場所でたまたま遭うのでもない限り、同じような状況であることが多いはずです。ということは、今の状況と似た過去についての情報を調べれば、その人が誰かの絞り込みはできます。件の会議のファイルも、スケジュール帳を始め関連する会議資料にコピペできるし、検索するためのキーワードにしておくこともます。膨大な数の資料をいちいち新規に作成するのではなく、過去に作った資料から引用したいのなら、何らかのキーワードによって所望のデータを検索できるようにしておくのが便利です。
そうしておけば削除でもしない限りデータが行方不明になることはありません。関連する情報をたどっているうちに、目的とする情報が見つかります。連想で記憶を呼び起こすようなものです。ファイルの概念を持たずデータは、メモ、予定表、住所録といった標準データベースの中でシームレスに活用できるようにしておくと便利なのです。
手帳には「アイデアを書き留める」といった使い方もあります。今ほどアイデアを書き留めることに熱心な時代はないでしょう。『たった100円で願望実現! 』、『A6ノートで思考を地図化しなさい』、『マインドマップを超える超簡単ノート術』という本がたくさん売れています。外国の書店でも、こういう手帳術とか思考術の本がたくさん売られているものなんでしょうか。それとも日本人の国民性なんでしょうか、手帳をうまく使うことが何かの特殊技能のように考えられているようなんです。手帳は「仕組み」に過ぎません。あとは、そのアイデアの見つけ方、使い方、実現の仕方次第なんだと思うんです。
便利な手帳を作るコツは、自分の必要とするデータをどんどん記録、蓄積、クリッピングすることだと思います。手帳に保存した無数のデータから将来使えそうな知識をどんな方法で見つけだすのか、また情報や、将来使えそうな知識をどんなふうに端末の中で分類しておけば良いのかなど、検索技術やデータベース、アイデアプロセッサ、はたまた情報を勝手に自動でまとめるエージェントなどについては数多くの課題があり多くの研究がなされています。「情報」は、文字だったり、カメラで撮った写真だったり、マイクで録った音だったりといろいろあります。恐らくどんなデータに重きを置くかは、その手帳の持ち主のライフスタイルや職業によって変わるでしょう。それにつれてデジタルかアナログか、電子媒体か紙媒体か、それぞれの人に適した手帳のスタイルがあるんだと思います。
そう、ファイリングは簡単で、単純で、楽しく苦痛にならないシステムでなければなりません。紙一枚に書いたものでも、見直すために必要なら、これまで作ったフォルダに属さないものならば新しいフォルダを作る必要がある。情報の貯蔵や見直しができるだけ簡単で早く済むものならどういったものでもよい。仕事は楽しくしたいものですよね。
数十種類もの使い方があるナイフを売りつけるのは結構なことですが、レバーをいじりまわさないと刃やボトルオープナーを見つけられないようであれば、それは飾りであって道具ではありません。ユーザーにとって重要な特定のタスクにしっかりと集中することで、アプリケーションは仕事のための良き道具となるのです。利用者は、いかに先進的なユーザインタフェースが備わっていても、ハードウエアの大きさや性能に見合った魅力的なソフトウエアがなければ「利便性」、「生産性」を享受できない。アプリケーションには「用途指向性」があります。
ユーザーがコンピュータを使って本当にしたいことはなんなのでしょうか。機能を増やす目的はなんなのでしょう。使い方を学ぶのにどれくらい時間がかかって、学んだことを覚えているのはどれくらい大変でしょう。ユーザーは目の前に迫った問題を解決する必要があるからこそ PDA を利用するのです。スマフォが流行ってるからといった曖昧な感覚から利用するのではありません。そのため、アプリケーションにはユーザーが期待する有用性と便利さが必要なのです。シンプル活用といったコンセプトを忘れがちになりますよね。それだけアプリが充実している証拠なのかもしれませんが、まずやりたいことは素直に標準アプリで解決できないか考えるのがいいのかもしれません。
人工知能の研究には二つの立場があります。一つは、人間の知能そのものをもつ機械を作ろうとする立場、もう一つは、人間が知能を使ってすることを機械にさせようとする立場です。演繹的でアルゴリスミックである限りは、知能を持っているとはいえないでしょう。すでに何度も求めたことのある問題を解くこと、それをくり返すことをかしこいとはいえない。マクロとかで自動処理するのを見て、マクロを作った人は賢いかもしれませんが、計算機が賢いとは思いませんよね。
私たちの知っている意味での知能は、いつも不確定な条件下で意思決定することです。これは、遭遇する多くの問題の中から「選択」してゆくことであり、あるいは、全く新しい発見にあたるかもしれない意思決定をすることです。この観点からすれば「人工」知能というのは言語的に意味をなしません。というのは機械(コンピュータ)は「指示通りに動くだけ」だからです。知的なコンピュータ(活用)テクノロジーの限界は、ハードウェアにではなく、私たちの心の側に存在するのです。ソフトウェアによって増幅される能力というのは、結局のところ人(あるいはコンピュータ)が「学習」する能力なのです。
手書きの復権
近年、文具店などを見ていると「手書き」が復権しているのを強く感じます。ビジネス書などで思考を整理する道具として紹介されていることもあるのでしょう。iPhone や Android 系のスマフォが全盛の昨今、毎年雑誌に登場し手書きの手帳のノウハウを伝導する人は、じつは自身の著書を宣伝したいだけなんじゃないかとも勘ぐってしまう。
例えば、ワープロで文章を書く場合、文章が長くなったり、複雑になったりしやすい。あるいは、人によってはワープロでなければ文章をまとめるのに苦労する。新しく発表される端末は、原則的に改善できるところを次々と改善していき、より完璧なメディアとしての魅力を持ち、ユーザのナルシシズムを刺激する。
そこでは自分の書いたテクストも、それが下手な字で紙に書くのではなく、電子的な精密さでモニターの上に現れているゆえに、いい文章だと思うようになっている。小さな子供でもキーボードのキーを叩くことで正確な文字が簡単に書ける喜びに耽る。自分のパソコンのサーボ・メカニズムのために、最初の出だしから本になるときの完全なレイアウトまで、文章を自在に操れるこんな便利なものを喜ばない者はおるまい。
価値が置かれているものは、ふつうは文字そのものではなく、文字によって表され、形作られた、思想・発想・表現・構成・形式・論理性などです。「機械」や「技術」の「進歩」といわれているものは、結局人間自身の「思考」を高めるものとはなっていない。書いている「なかみ」は、ペンで原稿用紙に書こうが、コンピュータで書こうが、同じものです。どちらが好きか、読みやすいかは別として、中身に代わりないはずでしょ。デジタルとアナログをうまく使いこなす。デジタルかアナログか、という択一発想ではなくて、手段と目的を考えて両方を上手に使いこなすべきです。
しかし、ほんとうにコンピュータは単なる道具にすぎないのでしょうか。印刷された本、その本の書き方と読み方が変更され、読むことと書くことは、前とは異なったことを意味するようになります。それぞれ新たな意味を獲得することになるのです。つまり、道具は単なる道具ではない、どんな道具を使うかによってその「なかみ」、またそれをとりまく外的状況までも転換させる可能性を持つということです。つまりそれは技術的にではなく、思考そのものがワープロの要請する文章作成に適応してしまっている。思考様式そのものが変わるということなのです。口述文化から文字文化へと転換することで、思考様式が根本的に転換したように。
コンピュータにテキストを打ち込んで、誰かに見つけて読んでもらうと、かなりの場合役に立つとはいえ肝心のとこで伝わらないことがあります。そもそも文とは何でしょうか。文が語を組み合わせてできるまとまりであることは誰でも知っていますが、語のまとまりを文にするものは何でしょう。それは「思考」つまり文が表現する内容です。文とは思考を表現するためのものですから、その目的を実現するために文法が存在しているのです。
言語を表現媒体という機能に限定して捉えれば、意味と世界との関係は、コミュニケーションの場で言語を使用する当事者、つまり話し手や聞き手に委ねられます。これはおそらくコミュニケーションの論じ方として正しい方向を向いているでしょう。コミュニケーションの成功とは発話を適切に解釈することであり、話し手が伝えようと意図した内容と聞き手の解釈が一致することです。存在するのは、人間と、彼らが生みだす様々な書かれたもの、あるいは音声的な産物だけである。相手の発話と向き合い、それをそのつど理解可能なものにしてゆくという仕方においてしか、私たちは他者と「言語的に」出会うことができないのです。
学習する手帳
あらゆるメッセージは、なんらかの意味で、何かの概念のシュミレーションです。メディアとしてのコンピュータは、「ほかのいかなるメディア」にもなりうる。この新たな「メタ・メディア」は能動的なので、メッセージは双方向的な会話に引き込む。知能というものに関して、人間の知能の絶対性というものに強い懐疑があるのだと思うのです。知能は人間の頭脳こそが唯一もっているものであるということは、当然のこと、暗黙の了解事項であるようにボクには感じられます。なにしろ、人は「人間の知能」以外の知能を経験したことがないんです。「人間の」知能が、なのです。
私的な個性が匿名という実在で消されることによって「私は誰であるか?」、「私の限界は何であるか?」を発見しようと努める。実は、よく考えれば、私が私であるアイデンティティというのは、五感にもたらされる過剰な現実感なのです。書かれた言葉のように、五感から視覚の一部を切り取って整合的に組み立てた人工物には、身体的アイデンティティの欠落を補うものがないのです。現代が暴力事件であふれかえっているのは観ようによっては、五感に基づく体験によるアイデンティティの希薄な現代人たちが、身体的アイデンティティの欠落を取り戻そうとあがいている様だと見ることができるのではないでしょうか。
例えばあなたの iPod の音楽のコレクションが示す情報はただの「私」が消費した音楽リストというだけでなく、「私とはどういう人間か」をも示しているのです。iPod に入力されたデータが「ただのデータ」リストから、「私の物語」になる仕組みは、あなたたちの心の側にあるのです。
ユーザのライフスタイルを再帰的に学習しアシストする、またはネット上に公開されている他の人のハックテンプレートをダウンロードして学習ソフトに入れ知恵してみる。なんだ、こんな生き方もあったのか、それもいいかもしれない。なんて、そんなのが次に実現される手帳かもしれない。