災害によるパブリック掲示板

実際、効果があるのか、使う人はいるのかわかりませんが、誰でも一言ことばを残せるようにコメント欄を設置しておきます。メッセージボード的に使っていただけると幸いでございます。

何か気のきくことでも書きたいものですが、いかんせん文才がないもので次の言葉を引用いたします。

『ああ、復活の前に死があるね』(ロマン・ロラン)

今回の災害でいろいろな形で私たちは「死」と直面しました。しかし「現在」の私たちは確実に復活に向けて進んでるんだなという、そういう気持ちで世界に面していただきたいと思います。

それでは御武運を

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ポストiPad

ポストiPad

 ダイナブックとは人間の為に積極的に必要な情報を提供してくれるデバイスの事です。あらゆる情報網に接続され、例えば今日の予定をリマインドしてくれて、その最も効率的かと思われる処理方法を提言します。ダイナブックとは、あらゆる情報網に接続して、その最も効率的かと思われる処理方法を提言し、最適の情報を最適な方法で人間に提供してくれる、まさに「アシスタント」の事を指します。
 PDA とは、Personal Digital Assistants の略称で、アップルが1992年に提唱した携帯用情報機器テクノロジーの総称です。初めて発売された PDA が Newton なので「PDA = 電子手帳の親戚」という図式が一般化して思われているが、PDA はダイナブックのように積極的に情報を提供し、効率よく情報を整理できるデバイス一般を指します。アップルはまさに「ダイナブック」を実現しようとして生まれた会社で、これが会社の目標となっています。
 テレビや電話、冷蔵庫などより生活に密着した様々な機器にコンピュータを取り入れ、それらを便利に活用することによってより快適な生活を提供しようというのが本来のユビキタスの概念です。コンピュータというものは、「万能マシン」の理論に根ざして作られているもので、他のマシンをまねる能力こそコンピュータの原点なのである。従来メディアはある一つの機能につき一つの箱が対応していましたが、コンピュータにより、それもデジタル化の恩恵により一つの箱でいくつもの箱をシュミレーションできるようになったのです。現代の製品開発の発想は、それら単一の機器が個別にどこまで賢くなれるかを考えるよりも、人の想像力しだいでどのようにも変わるマシンとの関わり方を考えていくことが重要でしょう。
 一方で、実はアランケイのダイナブック構想が実現してしまうと、それを超えるようなポスト・ダイナブックの、希望的予言も共通認知もされていません。また、スマートフォンも多機能化の一端で高性能化したものの、単に携帯電話やデジタルカメラ、オーディオプレイヤーに付加機能を追加しただけで生活を革新するほどにはなっていません。

使えるアプリとは

 下は小学生から上は高齢者まで、会社員から社長にまで幅広く利用され明治時代から広く愛されている製品があります。それは鉛筆と手帳です。誰にでも扱え、情報をいつでもどこでも閲覧でき、必要な機能は好きなだけ追加できる。ダイナブックの針路は携帯電話でもスマートフォンでもなく『紙の手帳』です。モノを使うのは人間です。人間が使いこなせなければ無駄なものが増えるだけで終ります。
 私がメインに使う手帳は Palm 社製の PDA で、紙の手帳はサブとして使っています。理由はボクの仕事上、クリーンルームで作業することが多く、通常の紙は発塵対策上クリーンルームに持ち込めないので、手帳を携帯して社内を移動するには PDA が適しているからです。手帳を活用するには、使う人が常に情報を整理・管理し続けなければなりません。また、利用目的が不確定な情報まで紙媒体で持ち歩くこうとすると、収納量の収集がつかなくなってしまいます。膨大な情報を丸ごと持ち歩き、整理という煩雑な作業のアシスト(検索)をしてくれる。手帳としてこうしたシステムが必要なわけです。PDA は普通の手帳とはどう違うでしょう?

 一つはデータの管理方法です。普通の手帳では、入力されたデータは「ただのデータ」で色々な別の機能がそのデータを効率良く利用する事ができません。メディアの力が人間から開放したひとつの労働は、おそらく「記憶する労働」でしょう。紙の発明と筆記する技術のおかげで、人間は記録を読む楽しみを味わうことができるようになりました。手帳は予定を管理するのと同時に、持ち歩ける資料集でもあるのです。「時間管理」という場合の手帳は、予定から逆算して自分の手持ちの時間を把握し、目標達成までの段取りをはかるツールといった意味合いがあります。
 たとえば予定日に相手の名前や所属などの基本的な情報のほか、いつどこで会ったかの履歴、会話の糸口などを書き込んでいます。一方で、断片情報のリンクが行われます。社内外のいろいろな部署ごとに所属メンバーのリストを作成します。会議に出たら、その会議のファイルをつくって、そこに出席者それぞれの部署や役職をリストから貼りつけます。そもそも人と会う機会は全く関係のない場所でたまたま遭うのでもない限り、同じような状況であることが多いはずです。ということは、今の状況と似た過去についての情報を調べれば、その人が誰かの絞り込みはできます。件の会議のファイルも、スケジュール帳を始め関連する会議資料にコピペできるし、検索するためのキーワードにしておくこともます。膨大な数の資料をいちいち新規に作成するのではなく、過去に作った資料から引用したいのなら、何らかのキーワードによって所望のデータを検索できるようにしておくのが便利です。
 そうしておけば削除でもしない限りデータが行方不明になることはありません。関連する情報をたどっているうちに、目的とする情報が見つかります。連想で記憶を呼び起こすようなものです。ファイルの概念を持たずデータは、メモ、予定表、住所録といった標準データベースの中でシームレスに活用できるようにしておくと便利なのです。

 手帳には「アイデアを書き留める」といった使い方もあります。今ほどアイデアを書き留めることに熱心な時代はないでしょう。『たった100円で願望実現! 』、『A6ノートで思考を地図化しなさい』、『マインドマップを超える超簡単ノート術』という本がたくさん売れています。外国の書店でも、こういう手帳術とか思考術の本がたくさん売られているものなんでしょうか。それとも日本人の国民性なんでしょうか、手帳をうまく使うことが何かの特殊技能のように考えられているようなんです。手帳は「仕組み」に過ぎません。あとは、そのアイデアの見つけ方、使い方、実現の仕方次第なんだと思うんです。
 便利な手帳を作るコツは、自分の必要とするデータをどんどん記録、蓄積、クリッピングすることだと思います。手帳に保存した無数のデータから将来使えそうな知識をどんな方法で見つけだすのか、また情報や、将来使えそうな知識をどんなふうに端末の中で分類しておけば良いのかなど、検索技術やデータベース、アイデアプロセッサ、はたまた情報を勝手に自動でまとめるエージェントなどについては数多くの課題があり多くの研究がなされています。「情報」は、文字だったり、カメラで撮った写真だったり、マイクで録った音だったりといろいろあります。恐らくどんなデータに重きを置くかは、その手帳の持ち主のライフスタイルや職業によって変わるでしょう。それにつれてデジタルかアナログか、電子媒体か紙媒体か、それぞれの人に適した手帳のスタイルがあるんだと思います。
 そう、ファイリングは簡単で、単純で、楽しく苦痛にならないシステムでなければなりません。紙一枚に書いたものでも、見直すために必要なら、これまで作ったフォルダに属さないものならば新しいフォルダを作る必要がある。情報の貯蔵や見直しができるだけ簡単で早く済むものならどういったものでもよい。仕事は楽しくしたいものですよね。

 数十種類もの使い方があるナイフを売りつけるのは結構なことですが、レバーをいじりまわさないと刃やボトルオープナーを見つけられないようであれば、それは飾りであって道具ではありません。ユーザーにとって重要な特定のタスクにしっかりと集中することで、アプリケーションは仕事のための良き道具となるのです。利用者は、いかに先進的なユーザインタフェースが備わっていても、ハードウエアの大きさや性能に見合った魅力的なソフトウエアがなければ「利便性」、「生産性」を享受できない。アプリケーションには「用途指向性」があります。
 ユーザーがコンピュータを使って本当にしたいことはなんなのでしょうか。機能を増やす目的はなんなのでしょう。使い方を学ぶのにどれくらい時間がかかって、学んだことを覚えているのはどれくらい大変でしょう。ユーザーは目の前に迫った問題を解決する必要があるからこそ PDA を利用するのです。スマフォが流行ってるからといった曖昧な感覚から利用するのではありません。そのため、アプリケーションにはユーザーが期待する有用性と便利さが必要なのです。シンプル活用といったコンセプトを忘れがちになりますよね。それだけアプリが充実している証拠なのかもしれませんが、まずやりたいことは素直に標準アプリで解決できないか考えるのがいいのかもしれません。
 人工知能の研究には二つの立場があります。一つは、人間の知能そのものをもつ機械を作ろうとする立場、もう一つは、人間が知能を使ってすることを機械にさせようとする立場です。演繹的でアルゴリスミックである限りは、知能を持っているとはいえないでしょう。すでに何度も求めたことのある問題を解くこと、それをくり返すことをかしこいとはいえない。マクロとかで自動処理するのを見て、マクロを作った人は賢いかもしれませんが、計算機が賢いとは思いませんよね。
 私たちの知っている意味での知能は、いつも不確定な条件下で意思決定することです。これは、遭遇する多くの問題の中から「選択」してゆくことであり、あるいは、全く新しい発見にあたるかもしれない意思決定をすることです。この観点からすれば「人工」知能というのは言語的に意味をなしません。というのは機械(コンピュータ)は「指示通りに動くだけ」だからです。知的なコンピュータ(活用)テクノロジーの限界は、ハードウェアにではなく、私たちの心の側に存在するのです。ソフトウェアによって増幅される能力というのは、結局のところ人(あるいはコンピュータ)が「学習」する能力なのです。

手書きの復権

 近年、文具店などを見ていると「手書き」が復権しているのを強く感じます。ビジネス書などで思考を整理する道具として紹介されていることもあるのでしょう。iPhone や Android 系のスマフォが全盛の昨今、毎年雑誌に登場し手書きの手帳のノウハウを伝導する人は、じつは自身の著書を宣伝したいだけなんじゃないかとも勘ぐってしまう。
 例えば、ワープロで文章を書く場合、文章が長くなったり、複雑になったりしやすい。あるいは、人によってはワープロでなければ文章をまとめるのに苦労する。新しく発表される端末は、原則的に改善できるところを次々と改善していき、より完璧なメディアとしての魅力を持ち、ユーザのナルシシズムを刺激する。
 そこでは自分の書いたテクストも、それが下手な字で紙に書くのではなく、電子的な精密さでモニターの上に現れているゆえに、いい文章だと思うようになっている。小さな子供でもキーボードのキーを叩くことで正確な文字が簡単に書ける喜びに耽る。自分のパソコンのサーボ・メカニズムのために、最初の出だしから本になるときの完全なレイアウトまで、文章を自在に操れるこんな便利なものを喜ばない者はおるまい。
 価値が置かれているものは、ふつうは文字そのものではなく、文字によって表され、形作られた、思想・発想・表現・構成・形式・論理性などです。「機械」や「技術」の「進歩」といわれているものは、結局人間自身の「思考」を高めるものとはなっていない。書いている「なかみ」は、ペンで原稿用紙に書こうが、コンピュータで書こうが、同じものです。どちらが好きか、読みやすいかは別として、中身に代わりないはずでしょ。デジタルとアナログをうまく使いこなす。デジタルかアナログか、という択一発想ではなくて、手段と目的を考えて両方を上手に使いこなすべきです。

 しかし、ほんとうにコンピュータは単なる道具にすぎないのでしょうか。印刷された本、その本の書き方と読み方が変更され、読むことと書くことは、前とは異なったことを意味するようになります。それぞれ新たな意味を獲得することになるのです。つまり、道具は単なる道具ではない、どんな道具を使うかによってその「なかみ」、またそれをとりまく外的状況までも転換させる可能性を持つということです。つまりそれは技術的にではなく、思考そのものがワープロの要請する文章作成に適応してしまっている。思考様式そのものが変わるということなのです。口述文化から文字文化へと転換することで、思考様式が根本的に転換したように。

 コンピュータにテキストを打ち込んで、誰かに見つけて読んでもらうと、かなりの場合役に立つとはいえ肝心のとこで伝わらないことがあります。そもそも文とは何でしょうか。文が語を組み合わせてできるまとまりであることは誰でも知っていますが、語のまとまりを文にするものは何でしょう。それは「思考」つまり文が表現する内容です。文とは思考を表現するためのものですから、その目的を実現するために文法が存在しているのです。
 言語を表現媒体という機能に限定して捉えれば、意味と世界との関係は、コミュニケーションの場で言語を使用する当事者、つまり話し手や聞き手に委ねられます。これはおそらくコミュニケーションの論じ方として正しい方向を向いているでしょう。コミュニケーションの成功とは発話を適切に解釈することであり、話し手が伝えようと意図した内容と聞き手の解釈が一致することです。存在するのは、人間と、彼らが生みだす様々な書かれたもの、あるいは音声的な産物だけである。相手の発話と向き合い、それをそのつど理解可能なものにしてゆくという仕方においてしか、私たちは他者と「言語的に」出会うことができないのです。

学習する手帳

 あらゆるメッセージは、なんらかの意味で、何かの概念のシュミレーションです。メディアとしてのコンピュータは、「ほかのいかなるメディア」にもなりうる。この新たな「メタ・メディア」は能動的なので、メッセージは双方向的な会話に引き込む。知能というものに関して、人間の知能の絶対性というものに強い懐疑があるのだと思うのです。知能は人間の頭脳こそが唯一もっているものであるということは、当然のこと、暗黙の了解事項であるようにボクには感じられます。なにしろ、人は「人間の知能」以外の知能を経験したことがないんです。「人間の」知能が、なのです。
 私的な個性が匿名という実在で消されることによって「私は誰であるか?」、「私の限界は何であるか?」を発見しようと努める。実は、よく考えれば、私が私であるアイデンティティというのは、五感にもたらされる過剰な現実感なのです。書かれた言葉のように、五感から視覚の一部を切り取って整合的に組み立てた人工物には、身体的アイデンティティの欠落を補うものがないのです。現代が暴力事件であふれかえっているのは観ようによっては、五感に基づく体験によるアイデンティティの希薄な現代人たちが、身体的アイデンティティの欠落を取り戻そうとあがいている様だと見ることができるのではないでしょうか。
 例えばあなたの iPod の音楽のコレクションが示す情報はただの「私」が消費した音楽リストというだけでなく、「私とはどういう人間か」をも示しているのです。iPod に入力されたデータが「ただのデータ」リストから、「私の物語」になる仕組みは、あなたたちの心の側にあるのです。
 ユーザのライフスタイルを再帰的に学習しアシストする、またはネット上に公開されている他の人のハックテンプレートをダウンロードして学習ソフトに入れ知恵してみる。なんだ、こんな生き方もあったのか、それもいいかもしれない。なんて、そんなのが次に実現される手帳かもしれない。

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こういう社員が会社をダメにする

言われたことはやり、残業もするし上司にも逆らわないが向上心がない。こういう社員が会社をダメにする

URL:http://vipvipnews.com/archives/3717719.html

2011/04/28(木) 15:41:15.64

(中略)

●「新・ぶら下がり社員」の特徴
 仕事に対するやる気はない、けれども与えられた仕事はこなす。与えられた仕事はやる、けれども管理職になって責任を負うのは嫌だ。現状維持を望んでおり、昇進(上)を目指すわけでもなく、転職(横)をするわけでもない。すべてにおいて消極的である。私はこのような傾向の30歳前後の社員を「新・ぶら下がり社員」と呼んでいます。
 新・ぶら下がり社員はいいかげんではなく、むしろまじめです。与えられた仕事はきちんとこなすし、遅刻やサボリもなく、残業も必要であればする。上司の言うことは素直に受け入れ、逆らったりはしない。一見、従順な社員なのです。問題は、言わない限り動かないのです。自分から仕事のハードルを上げようとはしません。仕事は70%主義で、新しい提案などはまったくしません。いつまでたっても受身のままなのです。

http://news.www.infoseek.co.jp/topics/business/n_job_work2__20110428_3/story/itmedia20110428002enterprise/

(コメント)

・これ今に限った事じゃないじゃん。何も生まない「ぶら下がり管理職」が日本の会社を腐らせたんだろ。
・部下のせいにしてれば自分は安泰。こういう管理職が会社をだめにする。
・でも肉食系新入社員とかが激増して、おまえら管理職のポジションを積極的に奪いにこられても困るんだろ?
・言われた以上のことを当然のようにやる。残業はするし上司にも従うが、野心家で向上心がある。そんなやつ中々いないし、いたとしてもショボイ企業には行かないし居つかないぞ。
・怖いのは、こういう記事を読んだボンクラ幹部がドヤ顔で「ぶら下がり社員を排除する」とか言い出す事だな。高い地位にいるくせにテレビとかの影響受けまくりだし。
・そもそもそういう部下をほしがってきたんだろう?需要があるから供給がうまれたのよ。骨のある奴は自分達で早期に排除しちゃってる事に気づきなさいな。
・言われたことを何でもこなす従順な奴隷を求めてたんだろ?いざ手に入れてみたら向上心がない、役に立たないってなに言ってんだバカじゃねえの。
・そういう社員が会社をだめにするんじゃない。そういう部下を欲する役員がだめにするの。部下と意見が異なるときに、イエスマンをほしがり、身の保身とごますりに徹するから部下はそういうパターンに陥る。
・意見を言ったら「お前に何が分かるんだよ。オレの言ったことは最優先で黙ってやれ」と言われたわけだが。
・勝手なことしたら凄い勢いで怒られた。単に5年以上も使ってない書類綴りを書類倉庫に移しただけなのに。どんなものであれ思想は尊重するけど理解不能。
・「言わなくてもやれ」「勝手にやるな」社会人とはこの2つの命題をこなす事。
・つまり言わなくても率先して自分に利益を運んでくる奴隷が欲しいってこと?どんだけ甘えてんだよ。
・向上心があれば勝手な奴だといわれ、素直に従えば向上心を持てと言われる。
・言われたこと以上の結果と行動をしろってことだろ。資本主義は労働者に給料以上のことをやらせて、その差分を資本家と上司が搾取することで成り立っているからな。
・仕事は生活のためにやるものでそれ以上でも以下でもねーよw
・言われたことはやらない、残業もしない、上司に逆らうが向上心だけがある社員よりはマシだな。
・「通常の仕事+αができないと生き残れない!」と言ってる先輩がいたが、そいつは+αしかやってなくて通常の業務が疎かになっている。
・自由にやっていいし、それでミスっても個人には極力責任を負わせないというシステムづくりができてないと社員は行動できないのだよ。
・失敗したら責任だけ追及するつもりなんだろ?その手に乗るか。対価を払わないといいものは得られない、ということを雇用側は学ぶべき。

(考察)

 トヨタ式経営方式(カンバン方式)が世の中に蔓延してから、現場はおかしくなった。効率だけを求めて人間性は無視する。余裕率もムダと称し、努力しても次の期にはさらに高い目標を設定されカイゼンを求められる。椅子などは効率を落とすとして撤去される為、立ち仕事で疲れて帰る頃にはクタクタ。誰もが船頭になりたがり、船頭になった人は徹底的に現場を痛めつける。自分の意見は通らず、船頭が作ったマニュアルどおりにやることを求められる。それで不良が出れば現場の責任。
 以上のような現代の労働環境に蔓延する閉塞感を克服するにはどのような思想が必要なのか? 次の記事へつづく。

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ライフハックについて

 ライフハックは、仕事を行う手法をより自律的、創造的にしようという考え方です。「ハック」という英語には、元来、「切り刻む」とか「道を切り開く」といった意味があります。より原義に近い形で表現すれば、「仕事や生活における難しい問題をさくっと解決するテクニック」という感じになるでしょうか。この言葉はもともと、2005年くらいにシリコンバレーでいわれ始めたものです。ライフハック的な仕事とは、ひと言でいえば、「ワクワクしながら働く」ということです。
 社会心理学では人間の情報処理モードをふたつに分類している。系統的熟慮モードと、発見的浅慮モードだ。系統的な処理が行われている場合、なんらかのリクエストを受けた我々は、慎重かつ合理的に考えてから決断を下す。一方、発見的な処理が行われている場合、決断までの過程で、我々の精神は近道をしたがる。重要な責務を課せられたとき、我々は系統的モードでの処理を試みる。しかし、時間的急迫、注意力の乱れ、激しい感情は、発見的モードへの切換えを引き起こすのである。
 知的生産性向上のための手法となっているライフハック。ライフハックとは仕事や生活の中で難しい課題や細かな手間隙のかかる作業を簡単にサクッと解決するためのテクニックです。もともとは欧米で広まった考え方で「こうやったら、便利だね!」というアイディアをネットなどで交換し蓄積されたものです。

 例えば、全工程で十時間かかる仕事があるとします。一方には、それを手作業でコツコツやっていくという方法があります。その一方には、九時間五十五分かけてプログラムを作って、残りの五分でプログラムに一気に仕事をやらせてしまうという方法があります。従来のビジネスの考え方では、どちらもかかっている時間は同じなので、効率は同じです。しかし、後者の方が圧倒的に楽しいわけです。アイデアや創造性を最大限に発揮することができるからです。同じ十時間をかけるなら、楽しく働ける方を選ぶ。作業する上でのモチベーションを損なわないための体制作り。心理的な負担を減らすことを主眼とし、個人の生産性を向上させることができるとされる。それがライフハック的な仕事ということです。

 なぜ、ライフハックしようと思うのか。ライフハックによって、思いつきが整理されたり、仕事がはかどったりする。なぜ、思いつきを整理したり、仕事をはかどらせたりしたいのか。仕事がはかどれば自分の時間が持てるようになるかもしれない。その時間に何をするのか。逆に言えば、なぜ自分の時間を持ちたいのか。“早く仕事を片付けてもやることを見つけられないというモチベーションの低さが、90年代からの長期不況から好転できない遠因。”「レバレッジ時間術」と、あるように、ライフハックして自分の時間を作り出したとしても、そこでやりたいことがない。それなのに、世の中がライフハック、ライフハックと騒いでいる。

 英語辞書で「ハック」という言葉を調べていただければわかるが、ハックというのは、そもそも基本は鉈や斧やまさかりや山刀で切る、裁ち落とす、ということ。「hack through the jungle」というのは、まさに鉈でジャングルを切り拓きながら進むイメージ。つまりハックというのは大ざっぱな作業という意味なのです。
 ハッカーとは、「何らかの問題に直面したときに、いかにそれを効率的な方法で解決するかをクリエイティブに考える人々」となる。したがって、コンピュータの世界では、今まで手作業で何度も反復作業するしかなかった仕事を、プログラミングにより一瞬でこなしちゃったようなときに、「ハックした」などといわれる。 もしくは、使いにくいツールなどを自分流に使いやすくすることも「ハックする」などといわれる。
 だから、ライフハックは、何か明確な目的のもとに行わなければならない。何かやりたいことがある→だから、ハックしてそれに充てる時間を作ろうとか、何かやりたいことがある→だからハックして「やりたいこと」に関するアイディアをまとめていこう…というふうになればよいのではないか。
 最小限の努力で要求をきれいにクリアするものをつくりあげる、ハッカーの世界、UNIX の世界には「Simple is best」という哲学がある。それが転じて、最小限の努力で最大限の効果をあげる、といったことになった。既存のものを使ってさらに積み上げるのをよしとする文化がある。きまじめさよりはひらめきを愛する気風がある。そんなときに、ハックというのは最高の褒めことばだ。もちろん、能力のある人間にとって努力なんてのは自慢すべきことじゃない。

 方法論としては自身の生活や仕事のスタイルにおいて「気の利いた手段で、もっと快適に、もっと楽して、もっと効率良く」という方法を追求して行くことに他ならないが、これを体系化していったものがいわゆるライフハックである。この中にはコンピュータを使いやすいように工夫するというものから、ガジェット(気の効いた小物・小道具)を使いこなす、さらには人間の生理機能上で効率良く作業するための方法論など多岐に渡る。
 「車輪の再開発はしない」 という言葉は、プログラマの世界ではよく言われることであるが、そこには、「既に他人が作ったものを 最大限に利用して、自分にしかできないことをやる」、そして、「自分が作ったものは誰かが利用できるように公開する」という思想がある。
 例えば、「繰り返し作業になりやすい Excel での打ち込み作業を VBA やマクロを使用することで作業を最小化」「 UNIX 系 OS の環境構築や設定をシェルやスクリプトなどでオートメーション」など実作業における作業時間短縮の工夫から、「昼休み中などに、いかに上手に机に突っ伏して寝るか」といった、作業者の生理的観点における工夫もライフハックの範疇である。
 これはまるで効率化が目的のようにも捉えかねない。本当は人生を豊かにしてくれる技術・方法論がライフハックなのに、目的とは関係なく効率化そのものが目的になってしまいかねない。方法が目的化してしまうのだ。そんなふうに方法を目的化してしまった人たちの人生とは如何なものか。ライフハックがいいとか悪いとかではなく、少なくともライフハックという言葉をこういう風に捉えている人はいる。人それぞれ、その人の好きなやり方がある。だから、ライフハックが嫌い、という人がいるのなら、その人が嫌いなのは「ライフハック」なのではなく、「その人のライフハック」が嫌いなんだと思う。そういった自分なりの方法は、結構他の人の役に立ったりする。他人の「面白くする方法」は、自分の「面白くする方法」にも応用できるかもしれないのだ。

 たとえ生死に関わる状況だろうとiPod shuffleでは次の曲を自由には選べない。それでいいじゃないか。「すべて偶然に任せよう」と、Apple は訴える。つまり彼らはこうほのめかしているわけだ。音楽プレイヤーにまで秩序を求めるなんてコントロールフリークもいいところだ、もう少し肩の力を抜いたほうがいいよ、と。

・デジタルとアナログの「いいとこ取り」の手帳「ライフハック手帳」監修者の小山龍介氏に聞く
URL:ttp://business.nifty.com/articles/trystrams/

・はんせいWEB(第3号) Aボーイとハッカー 社会のはじっこで生きる彼らの可能性
URL:http://www.hansei.info/backnumber_03_02.html

・What's a ハック?
URL:http://cruel.org/freeware/hack.html

・なぜ、ライフハックが(笑)なのか - inoccu blog
URL:http://blog.inoccu.net/archives/2255

・Wikipedia - Getting Things Done

・”ライフハック=エロス”の方程式 こてつは内臓ではない!
URL:http://www.kfutaba.net/cotets/?p=1047

・ライフハックとかあんまり堅苦しく考えない方がいいと思うよ
URL:http://goryugo.com/20100805/aboutライフハック/

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男どもの統制及び制御への憧憬 - Boy meets hack!-

 「ハック」とは、手の届かぬところにある絶対的な統制への憧憬につけた神話的名前である。リスクを技術的に防止しようとすることから、危険のないゲームが生まれる。リスクはその語の意味するとおり、コンピュータ・シュミレーションで取り除かれるからである。
 ニューメディアに生まれたときからどっぷりと漬かっている若者からしたら、そのニューメディアは「生まれる前から」存在したあたりまえの陳腐なものにしか過ぎない。彼らはコンピュータ漬けの成長過程を歩んできた。彼らにとって、コンピュータは冷蔵庫や自動車のような外部装置ではなく、自分自身を覗き込むための窓だった。コンピュータが内部プログラムで無機的に情報を処理するのと同様、自分も体内で有機的に情報処理を行っている。
 彼らの生活においてリスクがあるとすれば、他者のリスク、とくに異性のリスクである。彼らにガールフレンドがいないということは、この事態の理由ではなく、この事態の表現なのである。
 「ビデオばっかりで、私なんかほったらかし!」なんてのがよくある。ここには同時に他者性を免れさせてくれる楽しみがある。異性の測り知れない危険を避けようとするのだが、それをメディア・オナニーだとして軽蔑するのは、いまだに女性と男性の間に性的な関係があると信じている者だけである。精神分析学によると、あの有名な性的関係なるものは、思い違いしているときにしか実現しないということを理解すべきであるとされている。性的関係の崩壊を人間と機械とのナルシシズム的な円滑な共同によって取って替える者には、失われるものは何もない。

 できるだけ女を一個の物体にしておこうとする思考は、かくして人形愛で行きどまりになる。ここに至って、男の制御や法則を破壊する対象物はなくなるのだ。すべての人形愛好家にとって女はコンプレックスの対象であり、そして自己愛の変形であった。「君が何であるか、いま判ったよ。君はぼくの自己愛なのだ!」。いずくんぞ知らん、鏡のなかに「愛の千年王国」があったのだ。
 人形の魔術的な意味も、これとパラレルだと考えて差支えなさそうである。人形はしばしば、人形が模倣するモデルの性質を分有すると見なされてきた。逆に考えれば、人形のモデルは、人形に対して加えられた虐待や愛撫を、そのまま我が身に感じるはずだった。これが呪いの原理であって、さまざまに複雑な儀式を伴いながらも、この原理そのものは、有史以前から古代や中世、いや、近代にいたるまでも、ほとんど変わるところがなかったのである。

 なんで男というのはバイクや自動車や自転車のようなマシンのメンテに熱中するんだろう。パソコンでさえ自作するマニアがいる。それに対して女はどうして「またなんか、男が変なことに熱中してる」と思い、おしゃれや可愛いもののコレクションに熱中できるのだろう。人間は生まれついての性と、社会における役割の性がある。生まれついての性は身体的な特徴が現している。社会的な性はどのように現れるのか。言葉である。社会には男が使う言葉と女が使う言葉、もしくはそう使うのが望ましいとされている言葉がある。
 人間は人類の誕生以来、自分の生きている環境のなかで五感全部を使って環境を総体的に捉えてサバイバルしようとする本能を持っていました。別の表現をすれば、右脳を使って自らの環境を全感覚的に把握しようとしています。そうした全感覚を動員して獲得した外界の印象を右脳がゲシュタルトとして捉えています。それをもし地と呼ぶとすれば、人間が直接的経験を反省によって対自化したり、文字を使ってその印象をまとめあげる行為はゲシュタルトから図だけを抽象して取り出した抽象化、合理化なのです。左脳は論理的で、線形的であり、連結し、分類し、物を配置し、統語法、文法、順序を形成します。その反対に、右脳はすべて図と地で、直感的で同時的な脳です。万物を論理的に制御したい、世界を合理的に知りたいという男性的な左脳思考が、ハッキングへと向かわせてやまないのです。
 男性の言葉は客観的で暴力的で分析的である。そのため科学や工学分野を専攻するのは男性が多くなるわけです。なぜなら科学の言葉のルールは、子供の頃から男性が使ってきたルールに沿っているから。分析的な思考を持つことにより、機械などの内部の仕組みまで知りたくなる。男の思考の特徴は分析的に世界を知りたいというものがある。逆に女は包括的に主観が見る景色によって世界を理解したいと考える。西洋の言語は男性名詞、女性名詞、それと格変化はあるものの文法自体は男女の差異は少ないと思う。対して日本語を見てみると、どうも男言葉と女言葉は同じ状況においても、そう使うのが望ましいケースが違うような気がする。西洋と日本を比較して理科系に進学する女子が少ないのは言葉のせいかもしれない。そのわりにはオネエ言葉を駆使するオネエメンのテレビへの露出度は意外と高い。

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